カッコイイ自分への旅!

慶應通信と仕事と武道で「カッコイイ自分」になりたくてゆるゆると精進中

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東洋史特殊レポート返却

夕方、仕事で銀行に行かねばならず、ついでにまるお嬢さんを散歩に連れ出したのですが、玄関を開けようとしたときにふと「レポートが返ってきているかも」という予感がしました。

すると予感的中! 封筒を握る手に緊張が……

SN3T0086s.jpg

封筒が薄かったので最初はアメリカ文学研究Ⅱかと(2000~4000字なので)。提出したのは9月3日でしたので、これほど早々に返却されたとなると受付不可だろうかとさらに緊張……

が、実際は東洋史特殊で、手書きだったために枚数が少なかっただけでした。

結果は無事に合格~(^^;

スクーリング中に事務局に直接提出した分でしたが、返却まで1ヶ月弱と早かったです。

しかも、「よく書けていると思います。……今後もこの調子で……」と涙が出るほど嬉しいコメントを頂き、今後卒論まで頑張ろうという気力を頂きました。もちろん、もっと主題を明確にするにはどうしたら良いと言った注意も頂いており、またそれ以外にも赤で傍線を引いてのコメントが少しあって、細かく評価してくださっていることにほのかに感動を覚えました。

まだ卒論の方向が定まらないのですが、勉強するにつれてさらにイスラームと西洋、ユダヤの関わりに興味を覚えているので、そういう方向もあるだろうかと考えたりしています。

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イラン・イスファハーン・イマーム広場

以前、旅行の添乗をする仕事をしていて、その頃にイランにも行きました。

イランと言えば、ちょうど今勉強している東洋史特殊に関わってくる土地です。もともとイスラームはイランなど中央アジアを中心に広がった宗教で、イランは早い時期からペルシア語とイスラーム文化を基調に発展した土地であったようです。

同じイスラームで似た言語を使いながらも、ペルシア語とアラビア語とトルコ語などいろいろな言語に分断される不思議な文化。ちょっと興味をそそられてしまうその中にイランという国があります。トルコ系に飲み込まれることなく、独自の言語や民俗性を貫いたペルシアの人々、なぜトルコ化することなく発展したのでしょうか。

と、そんな深いことを考えることもなく、数年前にイランのテヘランとイスファハーンへと旅したことがありました。暑くていい加減で大変な文化の中、お客さんを連れての長距離旅でしたので、いろいろと問題もありましたが、今となっては楽しく面白い旅だったと思い出します。

イスファハーンのイマーム広場の懐の広さ、開放的空間、人々の自由さはとても印象深かったなー

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スーフィズム

もともとは5月のレポート提出期限に間に合わせるつもりだった東洋史特殊。何だかんだで間に合わなくなったので、せっかくなのでということで、さらに参考文献をいろいろと探して読み漁っています。

東洋史特殊の2013年度レポート課題は「テキストの内容を踏まえてうえで、東長靖『イスラームのとらえ方』を熟読し、スーフィズムについて多面的に論じなさい」。指定文献だけではイスラームに対する知識不足を補えないので、さらに予備知識を得るためにいくつか図書館で借りて読んでいるところです。

しかし、この科目はテキスト自体がとても面白い! 他の科目が面白くないとは言いませんが、横書きで写真付きのこのテキスト、トルコ史の入門書として入るのに多いに生徒の興味をそそってくれるように感じます。

さて、課題となっている「スーフィズム」。

トルコに何度か行ったことがあるだけでなく、留学するつもりでイスタンブール大学の語学学校に入学手続きをしたことまである私ですが、何と恥ずかしながら初耳でした(^^; 一般的に「スーフィズム」は、「イスラーム神秘主義」と訳されるそうです。

10世紀以降、イスラーム化していったトルコ系の人々は、特にスーフィズムと呼ばれるイスラーム神秘主義の教団に大きく惹きつけられたということですが、複数あるスーフィズムの教団の中に私でも知っている特徴的な集団がありました。

その名も「メヴレヴィー教団」。この教団はスカートをはいた男性信者たちが扇舞するというので有名で、私も以前に本で読んだことがありました。聖地は確かトルコ東部のコンヤという町で、現代ならばトルコに行けばコンヤでなくとも観光用として扇舞する様子を見ることができるはずです。

メヴレヴィー教団もスーフィーだったのかーと今頃になって新たな発見。そして東洋史特殊の世界にはまっております。

メヴレヴィー教団の扇舞です↓


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東洋史特殊‐歴史との出会い

慶應義塾大学の通信に入学する前に何度かトルコへ行きました。個人旅行で行ったのが1回、それ以外は仕事です。

bluemosk.jpg

初めて行ったトルコはイスタンブールのみで、海外旅行は2回目でした。

お盆の時期、インドかメキシコかトルコか~と予約が取れそうなところを探していたらば、結局ほとんど予約がいっぱいだったということで、モスクワ乗り継ぎ1泊、イスタンブール3泊、旧市街の中規模ホテル宿泊というツアーをどうにか予約することができました。その後、友人も行きたいと言い始めたので、女二人旅と相成りました。

イスタンブール市外からほど近いアタチュルク国際空港に到着して、送迎バスでホテルに真っ直ぐチェックイン。

ホテルのフロントスタッフ(トルコ人男性二人)が私たち(純情な日本人女性二人)に「どこから来たの? どこへ行くの?」などと親しげに、さらにはやけにしつこく話しかけてきたので、ちょっと戸惑いながらも、でももしかして「私たちってモテる??」と少しいい気になったのも真実でした。

町へ出掛けたら歩いているだけで注目を浴びるし、上半身裸の果物屋のオヤジに「君は女優でしょ! 夜、飲みに行かない?」と誘われるし、私たちってトルコでは美人顔なのかと本気で勘違いしそうになりました。

その後、トルコの男性は日本人女性はお金持ちだと思って口説くことが多いということをすぐに知ったので我に返りましたが(笑)

ともあれ、イスタンブールに着いて2日目、私たちは日本語ガイド付きの短い市内観光に出掛け、有名なアヤソフィアやブルーモスク、トプカプ宮殿などを訪れました。その中で、アヤソフィアに行って目にしたキリストのフレスコ画は、私が一生忘れ得ないものとなりました。

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教科書で見たことのあるこのフレスコ画、「ああ、ここにあるんだー」と思った瞬間、想像力の扉が勢いよく開いたような感覚がありました。世界史は机上のものでも夢の世界のものでもなく、私たちの歴史上に本当にあるものだと、初めて実感し感動した瞬間だったのです。

それから時は流れ、私は東洋史特殊のテキストを手にし、なんと学問上で再度トルコに出会えたことに密かに喜んでいるのでした。東洋史特殊の内容はトルコ史で、2006年初版という慶應通信ではかなり新しいテキストである分、理解しやすいようにも感じます。

私の大好きなトルコ♪

東洋史特殊の参考文献を読みながらときめく私なのでした

 

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