カッコイイ自分への旅!

慶應通信と仕事と武道で「カッコイイ自分」になりたくてゆるゆると精進中

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ペルシア女性の異文化ロマンス

東洋史特殊の勉強をしていて思い出したことがあります。それは以前、イランに仕事で出かけた時に出会ったイラン人女性から聞いた、素敵なロマンスのお話。

テヘランへの往路、私が成田空港より飛行機で隣り合わせになったのは、淡い花柄のチャドルを頭にかぶった、魅力的なイラン人女性でした。

「こんにちは」

彼女は流暢な日本語で、にっこりと話しかけてきました。

「こんにちは。日本に住んでいるのですか?」

「そう。あちらに座っているのが私の子どもたち。旦那さんは日本人だけど置いてきちゃった。仕事だから。」

このイラン人女性とテヘランに着くまでいろいろなお話をしたのですが、彼女と日本人ご主人との馴初めがとても素敵だったのです。

彼女が中学生の頃、友人の家に電話をしようと受話器を取りました。ルルルルルル…という音の後、聞きなれない男性の声がしました。

「はい。●●●社です。」

若そうな男性の声でしたが変な訛りがあり、聞いたこともないような社名を名乗りました。頭の回転の速い彼女は、これは外国の商社に違いない、間違ってしまった、と悟りました。

「すみません。間違えました…」

電話を切ろうとしたのですが、何となく彼女が「あのう」と話しかけると「はい?」と返事が。イラン人女性である彼女は家族以外の男性とほとんど口をきいたことがなく、大変な緊張感を感じていたのですが、好奇心に負けて質問しました。「そちらはどこの国の会社なのでしょう?」

相手は日本の商社だと答えました。

そして、何と二人は間違い電話であったのにもかかわらず、1時間以上も話をしたそうです。

電話から二週間ほどして、彼女は好奇心に負け、再度あの日本の商社に電話をしました。そして、幸運なことに同じ男性が受話器に出たというのです。

それからは、二人はたびたび電話で話をするようになりましたが、イランというお国柄、外で会うことはかないませんし、彼女にはそんな気はありませんでした。イラン人女性にとっては、自由に恋愛をするなどということは、微塵も頭に上らなかったのです。

ある日、日本人男性は高校生の彼女に将来どうするのかを訪ね、「大学へ行こうと思っている」という彼女に「大学に行きながらでいいから僕の妻にならないか。僕はもうそろそろ日本に帰らなければならない。一緒に行かないか」とプロポーズをしたそうです。

この時点で二人は会ったこともなかったので、さすがに彼女はプロポーズを断ったそうですが、彼は彼女の両親も含めて初体面のご挨拶にやってきたとのこと。

まだ高校を卒業するくらいの年齢だった彼女は一旦プロポーズを断ったそうですが、それから数年後、再度彼がプロポーズのためにイランを訪れた時には、断る理由もないうえ愛される嬉しさもあり、受け入れたそうです。かくして、二人は結ばれ子供までもうけたとのことでいた。

電話でお話をするだけで結婚したいと思ったほどに、男性にとって彼女は魅力的だったのでしょう。素敵なお話です。

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イラン・イスファハーン・イマーム広場

以前、旅行の添乗をする仕事をしていて、その頃にイランにも行きました。

イランと言えば、ちょうど今勉強している東洋史特殊に関わってくる土地です。もともとイスラームはイランなど中央アジアを中心に広がった宗教で、イランは早い時期からペルシア語とイスラーム文化を基調に発展した土地であったようです。

同じイスラームで似た言語を使いながらも、ペルシア語とアラビア語とトルコ語などいろいろな言語に分断される不思議な文化。ちょっと興味をそそられてしまうその中にイランという国があります。トルコ系に飲み込まれることなく、独自の言語や民俗性を貫いたペルシアの人々、なぜトルコ化することなく発展したのでしょうか。

と、そんな深いことを考えることもなく、数年前にイランのテヘランとイスファハーンへと旅したことがありました。暑くていい加減で大変な文化の中、お客さんを連れての長距離旅でしたので、いろいろと問題もありましたが、今となっては楽しく面白い旅だったと思い出します。

イスファハーンのイマーム広場の懐の広さ、開放的空間、人々の自由さはとても印象深かったなー

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スーフィズム

もともとは5月のレポート提出期限に間に合わせるつもりだった東洋史特殊。何だかんだで間に合わなくなったので、せっかくなのでということで、さらに参考文献をいろいろと探して読み漁っています。

東洋史特殊の2013年度レポート課題は「テキストの内容を踏まえてうえで、東長靖『イスラームのとらえ方』を熟読し、スーフィズムについて多面的に論じなさい」。指定文献だけではイスラームに対する知識不足を補えないので、さらに予備知識を得るためにいくつか図書館で借りて読んでいるところです。

しかし、この科目はテキスト自体がとても面白い! 他の科目が面白くないとは言いませんが、横書きで写真付きのこのテキスト、トルコ史の入門書として入るのに多いに生徒の興味をそそってくれるように感じます。

さて、課題となっている「スーフィズム」。

トルコに何度か行ったことがあるだけでなく、留学するつもりでイスタンブール大学の語学学校に入学手続きをしたことまである私ですが、何と恥ずかしながら初耳でした(^^; 一般的に「スーフィズム」は、「イスラーム神秘主義」と訳されるそうです。

10世紀以降、イスラーム化していったトルコ系の人々は、特にスーフィズムと呼ばれるイスラーム神秘主義の教団に大きく惹きつけられたということですが、複数あるスーフィズムの教団の中に私でも知っている特徴的な集団がありました。

その名も「メヴレヴィー教団」。この教団はスカートをはいた男性信者たちが扇舞するというので有名で、私も以前に本で読んだことがありました。聖地は確かトルコ東部のコンヤという町で、現代ならばトルコに行けばコンヤでなくとも観光用として扇舞する様子を見ることができるはずです。

メヴレヴィー教団もスーフィーだったのかーと今頃になって新たな発見。そして東洋史特殊の世界にはまっております。

メヴレヴィー教団の扇舞です↓


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7月6日は何の日

気が付いてみると、7月6日(土)は予定が3つも重なっていました。

ひとつは友人に誘われて、仕事絡みの催事。

もうひとつは合気道の演武大会。

そしてもうひとつは大学の科目試験。

今回、受験できるのはたった1科目なのに、よりによって7日(日)ではなく6日(土)に重なってしまうという、自他ともに認めるタイミングの悪さ。

相棒は「試験が最優先でしょ!」と言ったのですが、いろいろと考えた末に合気道を優先することにしました。何といっても一年に一度の催しですし、うちの団体は初めて参加する大会です。

その代り10月の試験は6科目受験を目指すことにしました。「やっぱり無理だった~」と嘆くことにならないように、今の内から焦りまくっております。ブログに書くことにより、さらに逃げ場がなくなるような感じ(+_+)

しかし、意外と7月の1科目受験(→7月6日までに東洋史の勉強しなきゃ~と焦りつつ、他の勉強のことはすっかり忘れる)よりも、10月に6科目受ける(→9月のレポート締切までに後5科目提出だから、集中して一つずつクリアしていく)方が、今回に関しては良い結果を生みそうな予感です。

予感を実現させるためには日々ひとつずつクリアして行かねば。

と言いながら、暑さのあまり眠気に襲われるお昼下がり……

こんなときは、とりあえずダンナを投げて雑念を追っ払うのだ!

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東洋史特殊‐歴史との出会い

慶應義塾大学の通信に入学する前に何度かトルコへ行きました。個人旅行で行ったのが1回、それ以外は仕事です。

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初めて行ったトルコはイスタンブールのみで、海外旅行は2回目でした。

お盆の時期、インドかメキシコかトルコか~と予約が取れそうなところを探していたらば、結局ほとんど予約がいっぱいだったということで、モスクワ乗り継ぎ1泊、イスタンブール3泊、旧市街の中規模ホテル宿泊というツアーをどうにか予約することができました。その後、友人も行きたいと言い始めたので、女二人旅と相成りました。

イスタンブール市外からほど近いアタチュルク国際空港に到着して、送迎バスでホテルに真っ直ぐチェックイン。

ホテルのフロントスタッフ(トルコ人男性二人)が私たち(純情な日本人女性二人)に「どこから来たの? どこへ行くの?」などと親しげに、さらにはやけにしつこく話しかけてきたので、ちょっと戸惑いながらも、でももしかして「私たちってモテる??」と少しいい気になったのも真実でした。

町へ出掛けたら歩いているだけで注目を浴びるし、上半身裸の果物屋のオヤジに「君は女優でしょ! 夜、飲みに行かない?」と誘われるし、私たちってトルコでは美人顔なのかと本気で勘違いしそうになりました。

その後、トルコの男性は日本人女性はお金持ちだと思って口説くことが多いということをすぐに知ったので我に返りましたが(笑)

ともあれ、イスタンブールに着いて2日目、私たちは日本語ガイド付きの短い市内観光に出掛け、有名なアヤソフィアやブルーモスク、トプカプ宮殿などを訪れました。その中で、アヤソフィアに行って目にしたキリストのフレスコ画は、私が一生忘れ得ないものとなりました。

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教科書で見たことのあるこのフレスコ画、「ああ、ここにあるんだー」と思った瞬間、想像力の扉が勢いよく開いたような感覚がありました。世界史は机上のものでも夢の世界のものでもなく、私たちの歴史上に本当にあるものだと、初めて実感し感動した瞬間だったのです。

それから時は流れ、私は東洋史特殊のテキストを手にし、なんと学問上で再度トルコに出会えたことに密かに喜んでいるのでした。東洋史特殊の内容はトルコ史で、2006年初版という慶應通信ではかなり新しいテキストである分、理解しやすいようにも感じます。

私の大好きなトルコ♪

東洋史特殊の参考文献を読みながらときめく私なのでした

 

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体の革命

肩こりや腰痛、内臓疾患などに日々悩んでいる人でなければわかりにくいお話かもしれません。ただ、同じような悩みを抱えた人を知っているという人は、その人にも革命を起こすためにぜひ教えてあげてほしいです。

2013年5月、楼蘭革命が勃発しました 私と私のごく身近な人にのみ影響のある大革命です(笑)

4月の終わりの記事に書いていたように、私は首が悪いために週1回のペースで整骨院に通ってほぐしてもらわないと始終頭痛がつきまとい、ひどいときには背中や首の激痛のために、寝たまま起き上がることも寝返りを打つこともできなくなってしまうなどしておりました。

ここまでひどくなった引き金は、20代に海外を放浪して重い荷物を背負って歩き回っていたせいですが、いろいろと考えてみると、大元の原因は小学生の頃に山で遊んでいて斜面を転げ落ち頭を強打したことなのではないかと思い当りました。きっと、その時に首の第一か第二頸椎がずれてしまったせいで、小学生の時から親に肩もみをしてもらうような体になってしまったのでしょう。

私に革命を引き起こしたのは、神奈川県秦野市にある愛気カイロプラクティックオフィスでした。横浜市や藤沢市、その他の都県にも同じ施術をするオフィスはあるようですが、秦野の愛気オフィスは実績がかなりあるようなので、予約2ヶ月待ちながらここに行くことにしました。

運よくキャンセルが出たためにほんの1ヶ月待ちで、結果から先に言うと、大した衝撃もなく頸椎のズレを治してくれたのです。通常は医者もリスクが高いので手を出しにくいと言われる第一、第二頸椎のズレを触診してどのくらいずれているのかを確認し、その後ほんの一撃(無痛)で終わりでした。

上部頸椎専門カイロプラクティックはまだ日本でも世界でもそれほど浸透していないようですが、私の場合はあれから10日ほどが経って肩こりも軽減し、首の後ろに挟まっていものがなくなり、また体が軽くなりました。整骨院に1週間ごとにいかなければ頭痛がどんどんひどくなっていたというのに、2週間以上経っても体調はすこぶる良いです。

首の第一、第二頸椎には椎間板がないので事故や頭の強打、高いところからの落下などにより、ずれてしまいやすいそうです。そこがずれると、首より下に関してバランスを保とうといろいろなところがさらにずれてしまう為、例えば椎間板ヘルニアになったり内臓疾患にかかったりする(神経などが圧迫されることによる)という説明でした。また、同じように衝撃がない限りは再度ずれることはないそうです。

そして素晴らしいことに、たったの1回きりでズレを治してくれるので、通う必要もありません。

そのようなわけで、私は整骨院とおさらばし、どうやら10年以上もの悩みから解放されたようです。こんなに長い間(と言ってもまだ10日ですが)、肩こりや首、背中の痛みに悩まされずに快適に過ごすということはもう長いことありませんでした。

足の骨折も背中の粉瘤ももうほとんど気にせずに生活できるところまで回復した今、頸椎のズレも解消されて、生命力が脳から脊椎へと100%伝達される状態になった私 きっと相棒は、もともと強い私が完全体になることに一抹の不安を覚えていることでしょう(笑) 

首や肩、背中、腰などに長年の悩みを抱えている人をご存知でしたら、ぜひ愛気カイロプラクティックをご紹介してあげてほしいと思います。私に革命が起きたように、たくさんの苦しんでいる人に革命が起きると良いと思います 

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