カッコイイ自分への旅!

慶應通信と仕事と武道で「カッコイイ自分」になりたくてゆるゆると精進中

誰も知らない世界

12月の私は、後から聞くに相棒も密かに心配していたほどに仕事が忙しすぎて、今思い直しても記憶があいまいなくらいです。某有名企業の経営陣にインタビューをするという仕事をもらって面白かった半面、時間がタイトで夜中まで根を詰めていました。

年末年始というと、通常は相棒の実家に帰っておせち料理を作り、義父と三人でお正月を迎えるのが恒例となっています。しかし、今年は母の兄にあたる叔父の見舞いに行くために、急遽私だけが12月30日に私の実家のある九州へと飛ぶことになりました。

旅の友は、1月に試験を受ける予定の『改訂・哲学』の参考文献である『哲学の教科書』。これを読みながら、自分の子供の頃からの空想をいろいろと思い出していました。

私は子供の頃から愛想もなくて暗いタイプだったと思います。典型的O型の母によく「誰に似たんだか」と言われた私の中学生当時の一番の関心事は「死」でした。

この世に居る誰もが経験したことのない世界、それが「死」。「死」を知ることができる唯一の方法は死ぬことだけ。だから「死」に憧れていました。

そんな私の中学時代に片思いをしていた1歳上の先輩は、20歳のお正月に交通事故で亡くなりました。私の憧れる死の世界へ先に一人で逝ってしまったことで、さらにその先輩への気持ちは忘れることのできないものとなっています。

大人になり、死を身近に感じることを何度か経験し、今は相棒と出会ったことで死は将来的に私と相棒を分かつという、哲学的ではない意味を持つものと変化しました。そして、それによって私はちょっと楽になりました。

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この年末、私はこんなことをちらちらと考えながら、1月1日に母の兄である叔父の病床を訪ねました。叔父の奥さんは私と私の兄がこの日にお見舞いに来るということを叔父に朝から何度も伝えていたそうで、意識が混とんとしている中でも叔父はその都度頷いて返事をしてくれていたそうです。

カッコよくて優しかった叔父は3か月前に突然癌の宣告を受けて、「俺、死ぬんだなあ」と言っていたとか。私が叔父の立場だったらどういう気持ちだったのでしょうか。

1月1日、私が叔父の病室をあとにして2時間後に息を引き取りました。

死は誰にでも訪れるのでそれは悪いことではないし、3ヶ月しか苦しまないで済んだということはむしろラッキーだったのかもしれないと思います。残された叔母の気持ちを思うと辛くなりますが、3ヶ月という時間が叔父を見送る覚悟を決めさせてくれた様子でした。

私の2014年はこんな感じで明け、今はまだ叔父を亡くしたという空気から脱することができないでいますが、むしろ叔父のお陰で良い年にできそうだと感じています。

いつ死が訪れるかは誰にも分かりませんが、その影とどう付き合うかはその人次第なのかなと思います。私はこれからも死の影と楽しく付き合いながら生きて行こうと改めて思っているところです。
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